壱岐牛についてのページを作りました。
↓↓こちら。
https://koyamabokujo.com/about-ikibeef/
今回、改めて壱岐牛の歴史をいろいろ調べてみて発見がありました。
『国牛十図 』
そんなのあったんですね~。
国牛十図は鎌倉末期に成った国産の牛の図説です。牛の産地が十か所、牛の絵が九図紹介されています。はっきりしたことはわからないのですが一枚は無くなってしまったようです。
国牛十図に、壱岐産の筑紫牛が1番目に 紹介されています。
- 筑紫牛は姿良く、本来は壱岐島の産である。元寇の際に元軍のいけにえ(食用)とされたために、一時少なくなったが近年また多くなってきた。
- 御厨牛は肥前国御厨の産で逞しい牛である。もともと貢牛であった所からの呼称で、中古の名牛の産地であった。西園寺公経から朝絵の印を許可されたという。
- 淡路牛は小柄ではあるが力が強く、逸物も少なくない。近年、西園寺公経から御厨牛と同等の評価を得た。
- 但馬牛は腰や背ともども丸々として頑健であり、駿牛が多い。
- 丹波牛は但馬牛とよく似ており、近年逸物が多い。
- 大和牛は大柄であるという特徴がある。ところが、角蹄が弱いという欠点があったが近年は良くなった。
- 河内牛はまあまあという所で、駿牛も存在する。
- 遠江牛は蓮華王院領の相良牧の産である。その見かけは筑紫牛に見まがう駿牛であるが、ややあばれものである。故今出川入道太政大臣家がこの地に筑紫牛の血統を移入させたものという。
- 越前牛も大柄で逸物が多い。
- 越後牛は力が強く、まれに逸物がある。この牛の図はない。
とあります。1番に出てきます!壱岐産の壱岐牛!というか筑紫牛。
『筑紫牛は姿良く、本来は壱岐産である』と10の牛の産地の紹介の1番目に書いてあります。そして、よく見ると遠江牛のところにも筑紫牛の名前が出てきます。 遠江牛のその見かけは筑紫牛に見まがう駿牛である。故今出川入道太政大臣家がこの地に筑紫牛の血統を移入させたものという。 とあります。
昔から壱岐の牛はいろんな地域に買い付けられていたんですね~。
と今回、壱岐牛について調べていて新たな発見でした。
昔も今も牛の産地は変わりません。
昔から牛を飼っているところが今でも牛を飼っているところが多く、やはり、牛を飼うのに適した気候なり風土なりがあって、それは昔からかわらないんだなぁとも感じました。
そして、壱岐は牛を育てるのに、BESTな土地。
美味しいものは時代を超えて生き残っていくのです。
国牛十図には、筑紫牛は元寇の際に元軍のいけにえ(食用)とされたために、一時少なくなったが近年また多くなってきた。
とあります、 少なくなってもまた復活する理由は、壱岐の牛が多と比べても美味しいからだったのだろうと思います。そうでなければ、わざわざ運ぶのに手間がかかる島で育てないだろうと思うのです。
そのことからも、きっと、鎌倉時代から、壱岐産の牛は愛されてたんだろうな…ということがわかります。